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高砂市 医療法人社団 魚川医院
医療法人社団 魚川医院
兵庫県高砂市米田町米田873-2



 

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医療法人社団 魚川医院 院長
青木 裕加
 高度経済成長に伴う病院の増加で、多くの人々が「病院志向」になり、介護や看護に不慣れになりました。死を身近に体験しなくなりました。
 又、核家族化は介護力の低下だけではなく「老いる」事への不理解も招きました。それとは裏腹に医療の高度化が進み在宅でも高度な医療を受けられる様になりました。
 しかし介護や看護に不慣れな家族や本人は在宅医療が高度になればなる程、不安や戸惑いが大きくなります。
 そこで質の高い在宅医療を行うためには必ず介護申請を行い、介護と看護の問題を整備していく必要があります。医療と福祉の密接な連携が必要なのです。
 本院では医師、看護師、ソーシャルワーカー、理学療法士、言語聴覚士、ヘルパー、ケアマネジャーが一体となって皆様の在宅医療をサポートします。



 この医院を継いだきっかけをお話したいと思います。

 私には3歳上の兄がおり、現在放射線科として勤務医をしています。幼い頃から、家は兄が継ぐものと 思っていました。内科を選んだ理由は、骨髄移植に興味があったからです。当初勤務医をしていた私は お正月に休みが取れ、実家に帰ってきました。1日だけの休みだったので、とても楽しみにしていたと ころ、早朝から起こされ父の患者さんの死亡診断のため、運転手を引き受けるはめになりました。患者 さん宅につくと父は仏頂面した私に白衣を手渡し死亡診断をするように命じました。
 それまで私が病院で行っていた死亡診断は、心電図モニターが「0(ゼロ)」になった事を説明し「○時○分死亡確認と します」というだけのものでしたが、父の往診カバンの中には死亡診断のためのセットが入っていまし た。その中で角膜反射をみるために、綿球で手作りされたコヨリを見た時、父の医師としての姿勢を感 じ、看取りとは何か?という思いが大きくふくらんできました。そして「人の一生と向き合える医師に なりたい」という思いから将来医院を継ぐ決意をし、その年の4月に神大第2内科に入局するも同年12 月に父が他界しました。
 数年間は医局からの代診+私も研究や病院勤務のあい間をぬって帰ることでつ なぎましたが「いつ来ても先生が違う」「夜はどうしたらいいの?」等患者さんの不安・不満の声が聞 こえてきた事、またグループ長から「皆と同じ道を歩みたい気持ちはわかるが、自分にとって今本当に しないといけない事が何なのか考えた方がよい」と背中を押され、先ではなく今継ぐ事を決意して帰っ てきました。
 帰ってくると当然往診の問い合わせがありました。小さい頃から往診を見て育った私としては、来られ なくなった患者さんに自分から向かっていくのはごく自然な姿勢であり、当然の事として始めましたが 、実際始めてみると自分の思っていた、昔から持っていた往診のイメージに違いを感じました。何が違 うのか?

 1つ目は、医療の進歩です。昔は高齢者が食べれなくなって亡くなる、いわゆる老衰も多くありました 。今は、中心静脈栄養や胃ろう等色々方法があります。腹膜かん流や透析まで在宅で…という時代にな り、非常に高度な医療まで在宅で行えるようになったという事です。

 2つ目は、世の中が病院指向になったことです。昔は家で看取る事が前提で往診するケースが殆どでし た。今はとりあえず往診、最期まで家で看取るかどうか後回しのケースが多いというのが事実です。国 公立病院のみならず個人の病院も増え、若者の肺炎ですら入院加療するという時代になり自宅で医療が 行われる事にも慣れていません。ましてや高齢者となると、その戸惑いは大きいものがあります。「抜 針は?」「点滴もれの確認は?」「食べられない時の食事の工夫は?」…入院では点滴だけと思われて も実は「医療+αの部分があり」、この+αが在宅では介護・看護として、のしかかって来ます。又こ の「+α」は高度な医療になる程大きくなります。つまり私独りが「最後までつき合いたい」と思って も+αを解決しなければ無理なのです。その+αを解決してくれるのは訪問看護をはじめとした福祉で あり福祉をプランニングをするケアマネジャーが、カギを握る事となってきます。

 そこで、より良い在 宅医療・より良い看取りのために「在宅看護・介護そしてそれを医療の目でプランニングできるケアマ ネを!!」という思いから11年前に訪問看護・訪問介護・居宅介護支援事業所を開設しました。又往診に 行く中で多くの寝たきりの方をみてきました。「寝たきりは寝かせきりから」が実践されている家庭が 多くあります。ADLの改善、少しでも寝たきりを予防する事は本人の苦痛軽減だけではなく家人の介 護の軽減としても重要です。
 そこで通所リハビリを設立したのですが、通所リハビリの設立にはもう1つ理由がありました。私の父 は合計6回脳血管障害で倒れ最終右半身不随になりました。
 「もう一度聴診器を持ちたい」その一心で リハビリに励みましたが名高い急性期病院ほどリハビリには冷たく、父の願いを叶えてくれたのは病院 のリハ室ではなく訪問リハビリをしてくれた理学療法士でした。又、繰り返す入退院の中で多くの患者 さんとその家族の戸惑いを見てきました。いつか土地を開放して脳血管障害をはじめとする慢性期の行 き場を失った人達のリハビリを行いたい、リハビリの大切さを伝えたいという思いがありました。

 今年で10年目、いつか地域の脳血管障害のリハビリを一手にまかせてもらえる施設にしたいという夢を持っ て歩んでいます。


 


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